自動巻き腕時計の根幹技術『マジックレバー』
自動巻き腕時計の根幹技術
『マジックレバー』の開発
高級腕時計の多くで使用されている機構が、ゼンマイの力を使って時計を動かす、機械式ムーブメントです。セイコーエプソン(株)(当時・諏訪精工舎 以下:エプソン)では今から60年以上前に、当時の技術者の叡智を集め、現在でも一般的な自動巻き腕時計の基本的な機構として採用されている、『マジックレバー』を開発。その後、国内で自動巻腕時計が広まるきっかけともなりました。エプソンが独自開発した自動巻き『マジックレバー』技術について解説します。
機械式腕時計の仕組み
エンジンやムーブメントと呼ばれる腕時計を動かす機構は、大きく2つあります。クオーツ式と機械式です。クオーツ式は電池を使用することから、電池式とも呼ばれることもあります。一方、機械式ムーブメントは電池を使用しません。板もしくはヒゲ状の金属板(針)を巻き込んだ「ゼンマイ(ゼンマイばねともいいます)」が、巻き上げられて得られたエネルギーを解放する際に発する力で、時計を動かします。
このゼンマイの巻き上げを手で行うのか、あるいは自動で行うのかの違いにより、「手巻き」「自動巻き」と分類されます。手巻きは字の通り、文字版の脇に搭載されたリユーズを手で回すことにより、ゼンマイを巻き上げます。自動巻きも字の通りです。ゼンマイは人の手により巻き上げるのではなく、腕に装着しているだけで巻き上げられます。もしくは人工的に振動を作り出す専用機器にセットしておくだけで、ゼンマイはまさに“自動”で巻き上がります。
機械式ムーブメントには回転錘と呼ばれる、文字板半分ほどの大きさの半円形の錘(すい、おもり)が装着されています。この回転錘が腕の動きにより、自然に回転することで、自動でエネルギーを発生します。そのため自動巻腕時計は「オートマチック」と呼ばれることもあります。
自動巻き技術の歴史
自動巻き時計の起源は、18世紀後半まで遡ります。スイスの時計技術者が、自動巻きの懐中時計を製作したのが始まりです。ただ当時の機構は実用的ではなかったため、その後一般に広まることはありませんでした。ところが19世紀後半になると、再び注目を集めます。1910年には自動巻腕時計が登場。1920年代に入ると、フランスのクロノメーター製作者(クロノメーター:高い品質・精度を保障する規格ならびに製品)が、世界初となる自動巻腕時計の製作に成功すると、イギリスの時計技術者が、大量生産方式での自動巻腕時計の製作成功で続きます。
そして1931年、スイスの時計メーカーが、防水機能も搭載した自動巻防水腕時計を発表。大量生産・販売を開始します。以降、世界の時計メーカーがこのモデルを参考に、自動巻腕時計を開発し、発売。自動巻腕時計は、広く一般に浸透するようになっていきました。
日本での自動巻腕時計の開発は、海外時計メーカーから遅れること10数年でのスタートでした。1956年に第二精工舎(現・セイコーインスツル)が、日本で初めての自動巻腕時計『セイコー自動巻き』を発表したのが始まりです。
その後、国内の他の時計メーカーも第二精工舎に続き自動巻腕時計を発表しますが、当時一般的であった手巻き式腕時計の価格と比べると2~3倍という高価格でした。そこでエプソンは、自動巻腕時計が普及するためには価格が重要だと考え、大量生産可能な新たな自動巻腕時計の開発を進めます。
独自の自動巻き技術
『マジックレバー』開発
開発当初は、既にある海外製の自動巻腕時計の機構をベースにする予定でした。ところが、試作機が完成するまで開発が進んだ段階で、特許が提出されていることが判明します。そのため同機構の採用を断念。新たに、独自の自動巻腕時計の機構を発案することになりました。技術者たちはさまざまなアイデアを出し合い、力学的に最適な自動巻腕時計の機構を模索・検討し続けます。その結果発案されたのが、エプソン独自の斬新で画期的な自動巻き上げ機構『マジックレバー』です。
先述したように、自動巻腕時計の原理は、回転錘が発したエネルギーを、ゼンマイに伝えることです。さらに詳しく説明すると、回転錘は両方向の回転運動なのに対し、ゼンマイの巻き上げは一方向の回転運動になります。つまり回転方向の異なる2つの機構を、いかに効率よく無駄なくエネルギー伝達できるか。ここがポイントになります。技術者たちはこの課題に対し、先端が爪のような形状をしたはさみ型の小さな部品「爪レバー(対外的には一部品で果たす複合機能と力学的な考がされた作動とからマジックレバーと命名し公表した。)」による全く新しい独自の巻上機構として完成した。特にキーとなった技術を解説します。
キーテクノロジー①
レバーの中心軸をずらした
回転錘の中心軸からあえて少しずらした位置に、マジックレバーの可動軸を配置しました。このような設計とすることで、回転錘は左右どちらに回転した場合でも、マジックレバーは必ず上下運動をするからです。このアイデアにより、回転錘が生み出したエネルギーを無駄なく効率的に伝えることが可能になりました。
キーテクノロジー②
爪の形状を左右で変えた
イラストをよく見ていただくと分かりますが、マジックレバー先端の爪形状は、左右で形が異なっています。この形状の違いにより、マジックレバーが上がった際、下がった際、どちらの上下運動においても、一方向の回転運動に変換して、伝え車を回しゼンマイの巻き上げ運動を可能にします。
マジックレバーが上がるときに押し爪が伝え車を押し、左に回転します。その際に引き爪は伝え車から離れない程度にすべります。マジックレバーが下がった時に引き爪が伝え車を引き、左に回転します。その際に押し爪は伝え車から離れない程度にすべります。動き方、巻き上げ方が手品(マジック)のように不思議に見えることからマジックレバーと呼ぶようになりました。
またマジックレバー自体もバネで作られているため、ゼンマイを巻き上げる歯車(伝え車)と形状が噛み合わないとき、あるいは回転錘が動いていない場合でも、マジックレバーが歯車から離れることはありません。
技術者の叡智が結集された
『ジャイロマーベル』
アイデア、設計はかたまりました。しかし、実現に向けてはこれまで経験したことがない、さまざまな壁を乗り超える必要がありました。技術全般ならびに各種精度の向上、原材料の見直し、それに伴う仕入先の新規開拓などです。新たな機械設備を導入したり、熱処理を加えることで変形防止対策を講じるなど、当時の技術者は一つひとつ、ハードルをクリアしていきました。
高効率な回転かつ耐衝撃性を確保するために、回転錘ならびに軸のボールベアリングは原料から見直しました。超小型ボールベアリング軸受も開発。ゼンマイのすべりトルクを適正化するための油や、偏心ピンのほぞに注ぐ各種油も、より良いものを新たに開発しました。キーパーツの爪レバーでは、プレス抜き量産加工技術の成否がポイントでした。そこでプレス加工の関連技術者を大勢集め、意見や知恵を出し合い、最適な厚みや幅、尖り形状などを試行錯誤していきました。
このような技術者の努力の結果、1959年、マジックレバー機構を初めて搭載したエプソンの自動巻腕時計『ジャイロマーベル』は、世に送り出されます。ゼンマイの巻き上げ効率を飛躍的に高めた同機構は、その後の自動巻機械式時計の一般的な機構として広まり、現在の自動巻腕時計へと続いていきます。価格においても、手巻きウオッチより若干高い価格に抑えたことで、広く一般に浸透。その後、自動巻腕時計が普及するきっかけにもなりました。
解説してきたように、マジックレバーも含めた新たな自動巻き機構を実現するために、当時の技術者はいくつもの壁を乗り越えていきました。そして乗り越えた先には、新たな技術が待っていました。ただ、手に入れたものは技術だけではありませんでした。というのも、それまでの時計づくりはスイスメーカーのスタイルを踏襲するのが一般的でした。しかしマジックレバーの開発以降は、マジックレバーの技術開発で得た開発手法を追求していこうとの気運が高まったからです。そしてこのような気運は、長年の時とさらなる気運の高まりを経て醸成され、今までにないものを世に送り出す「創造と挑戦」という、エプソンに宿るDNAとして今日まで受け継がれています。