技術者インタビュー

捺染工程を、よりクイックに。よりエシカルに。

デジタル捺染の前処理から印捺、後処理までの全工程をそろえ、サンプルワークや前後処理導入のご相談を承っている「ソリューションセンター富士見」。2019年6月に開設された同センターは2021年10月にリニューアルしました。

生まれ変わったセンターは、床から壁、天井まで白で統一。パッと明るく清潔感があり、とてもスタイリッシュな空間です。

心地よい作業環境の中で、創造意欲を刺激。沸き上がるアイディアをすばやくカタチに、そのサイクルをスピーディーに繰り返すことも。デジタル捺染(Direct to fabric)は製版やインクの調合が不要、水は少なくて済むなど、短時間で仕上がり、省資源だからです。

捺染工程を、よりクイックに。よりエシカルに。

その顧客体験を提供し、捺染のデジタル化を推進するP商業・産業企画設計部の園山と宮島が語ります。

P商業・産業企画設計部 課長 園山(写真右)
P商業・産業企画設計部 シニアスタッフ 宮島(写真左)

“テキスタイル屋”になるために

当社のデジタル捺染機で印捺したもの。実に色鮮やか。そして生地の柔らかさが伝わってくるようです。

「エプソンはプリンター屋さんですから」
捺染業者様からの言葉だと、園山は唇を噛みしめるように2018年当時を振り返ります。デジタル捺染は印捺前にインクを定着させる生地への前加工処理や、印捺されたインクを発色させる後加工処理を要します。いくら優れた捺染プリンターを用いても、前後処理が適切に行われていなければ、決して満足のいく印捺品質を得ることができません。そのため捺染業界では「プリンターおよび前後処理で、一つのワークと捉えている」と、プリンターだけが主役ではないことを示唆しました。

2019年、ソリューションセンター富士見開設(開設時の名称は「TSCアジア」)を前に、世界をリードする捺染技術を得るため、園山をはじめとするエンジニアたちは海を渡ります。行き先は、高級アパレルブランド向けの捺染が盛んなイタリア・コモ地区。コモには当社グループ会社で捺染印刷機器の開発・製造・販売・ソリューション提案を行うEpson Como Printing Technologies S.r.l.があります。同社は前身企業の一つあるFor.Tex S.r.l.時代より、長年にわたって培ってきた捺染機のノウハウと経験を生かし、お客様に見本を提出して評価してもらうサンプルワークを実施。それらの方法やお客様に関する知見を得るため「暗黙知の部分を含めて、さまざまなノウハウを習得した」と園山は回想します。

世界での学びが、私たちに創造力を与えてくれた。

イタリアから帰国し、ソリューションセンター富士見開設後は、3ケタの数のサンプルワークを実践。「思考錯誤しながら知見を蓄積していった」と園山。「高品質をお求めのお客様に対しても、納得いただける印捺サンプルを提供できるようになったのは、帰国後も密に連携しているEpson Como Printing Technologies S.r.l.のサポートのおかげです」と力強く語ります。

当社が傘下に持つ国内外の販売会社や、お客様からの高い要望に繰り返し応えてきた経験を踏まえて、多種多様な生地やデザインに捺染していく難しさについて、共にコモで修行した宮島は次のように語ります。

「デジタル捺染においてお客様が最も望むことは、求める色が正確に再現できているかどうかです。その狙いとする色が出せるかどうかは、インクやプリンターの性能だけでなく、生地の材質にも左右されます。ところが、生地はお客様が指定することが多いため、当社では選べません。そこで、色やデザインに合わせて生地に処置を施す前処理が重要になります。

例えば、生地にインクを染み込ませて発色させる染料インクを用いる場合、あらかじめインクの浸透を手助けする前処理液を塗布します。繊細なデザインや色調にはインクがにじまないよう浸透を抑え、鮮やかに発色させる場合は繊維の奥まで染み込むよう、前処理液の成分や量を調整します。インクの浸透度合いは繊維の材質や厚みにより異なります。最適解を出すためには、品質に影響を与え得るさまざまな要素を見極める必要があり、そこに技術やノウハウが求められるのです」

染料インクは生地に染み込むのが特徴。

それから、色の好みは個人的なものだと思われがちですが、国・地域によって好まれる色に傾向があることが分かったといいます。「洋服の場合、日本ではアイボリーやグレーなど落ち着いた色が多い一方で、例えば東南アジアでは鮮やかではっきりした原色系が好まれる傾向にあります」。当社は世界各地に販売会社を設けており、各国・地域のお客様のサンプルワークを繰り返すことで、色彩に関する知見を蓄積。「色鮮やかに発色性を良くするためのヒントを得たことで、当社が提供する前処理剤の改良にもつながっています」

園山は「いざテキスタイル屋になろうと思うと、けっこう大変だった」と、捺染業界の一員として認めてもらうまでの道のりは平坦ではなかったことをにじませながら、現在では「最適な生地、インク、前後処理を提案する『捺染ソムリエ』として、お客様の要望に応えています」

捺染ソムリエの皆さん。
左から、林、黒岩、園山、堀、武井、秋吉。

当社が販売しているデジタル捺染機は8ヘッド搭載モデル「ML-8000」から64ヘッド搭載モデル「ML-64000」まで4機種、前処理剤は17種類、インクは酸性染料や耐擦性に優れた捺染顔料など4つのインクセットをラインアップ(2022年6月現在)。ソリューションセンター富士見では実機やインクを見ることが可能で、お客様の要望に合わせてチューニングしています。

各販売会社においても、デジタル捺染機を訴求するためのソリューションセンターが開設されつつあります。ソリューションセンター富士見から各センターの技術者に教育し、デジタル捺染技術を展開。さらにセンター同士がネットワークを通じてつながっており、世界中のどんな場所、どんな生地に対しても、デジタル捺染機なら同じ品質(画質)が得られる「分散印刷の世界」の実現を目指しています。

パリ・オートクチュール・コレクション制作に協力。

パリ・オートクチュール・コレクションで披露された中里唯馬さんの作品。中里さんのデッサンを忠実に再現し、キュプラ、ウール、シルクタフタ、シルクオーガンジーの4種の生地にデジタル捺染機で印捺。バリエーション豊かな作品作りを当社がサポート。

2022年1月、パリ・オートクチュール・コレクション(パリコレ)。そこにソリューションセンター富士見で印捺された衣装が登場しました。作品を手がけたのは中里唯馬さん。ベルギー・アントワープ王立芸術アカデミーを卒業。2016年7月、パリ・オートクチュール・ファッションウィーク公式ゲストデザイナーのひとりに選ばれた、まさに日本を代表するファッションデザイナーです。

インタビューに答える中里唯馬さん。

当社は中里さんの作品の一部を、印捺する生地の種類に制限されない顔料インクを用いたデジタル捺染で協力しました。素材を選ばないという特長に加えて顔料インクは、加熱により生地表面にインクが定着する性質を持つため、後加工は熱乾燥のみで完結します。染料インクでは必要だった、高温の蒸気でインクを定着する作業や、定着しきれなかった余分なインクを洗い流す工程は要りません。そのため使用する水は大幅に少なくて済み、生産プロセスを短くできるのです。

後工程は、染料インクが蒸し・洗い・乾燥が必要なのに対して、顔料インクは熱乾燥で済みます。

顔料インクで、新たな美に挑戦。

理想的な衣服のかたちや、作り方を模索しながら、ファッション業界全体や地球が抱える課題解決に取り組む中里さん。オートクチュールをより身近に、より多くの人に一点ものを手軽に。その可能性を引き出すため、顔料に着目した中里さんの期待に、技術者として応えたい。奮闘した園山と宮島は口をそろえて「誇らしくもあり、難しい挑戦であった」と強調します。

宮島は「顔料インクを用いたデジタル捺染は、ファッション業界ではそれほど普及していません。顔料インクに含まれる色材を固着させる成分によって、少し硬い仕上がりになるからです。当社は硬さを抑えるために、インク成分の改良を繰り返しています。今回、改良したインクを使用し、色合いやデザインを確認しながらインクの吐出量を調整。柔らかいシルク生地でも、中里さんが求める質感を実現できました」

中里さんは、顔料インクの持つ風合いの硬さを逆手に取り、立体的に、ハリ(張り)を出す演出をされました。まさに逆転の発想で、顔料インクの新しい価値を発見した事例といえます。

世界4大ファッションショーに出展する作品に、顔料を使うこと自体が当社にとって挑戦です。しかしチャレンジは、それだけではありません。用いられた生地の中には、薄く透き通った平織りのシルクオーガンジーもありました。風でふわふわとなびくほど薄く、歪みやすい。デジタル捺染で均一に染めることが難しい素材です。

中里さんの作品を手に、シルクオーガンジーの特徴を説明する宮島。透き通るほど薄いことが分かります。

印捺にあたり、生地に歪みが生じたままインクを吐出するプリントヘッドの下まで搬送された場合、ヘッドに触れて生地の表面が汚れたり、ヘッドが故障したりする原因にもなりかねません。この歪みが生じないよう「印捺領域に生地を送り出すローラーの回転速度や強さを調整することで、生地に過度なストレスがかからないようにしました」と、宮島は搬送の難しさを振り返ります。

シルクオーガンジーを印捺している様子。左側の機械がデジタル印刷機で、右側が乾燥機。
生地をたるませながらも、歪みがおこらないよう搬送。

テクノロジーと美意識の融合で、新たな発想が生まれる。

今回、コレクションに向けて、短い準備期間の中で作品を仕上げる必要がありました。この期間が限られるからこそ、顔料インクの強みが発揮されました。「染料インクの場合は、印捺後に蒸し・洗い・乾燥をしないと発色度合いは確認できません。一方で顔料インクの場合は、印捺した色で仕上がるため、その場で判断できます。納得できるまで、短い時間で何度でもやり直しが利くのです」と、園山は顔料インクの優位性を説明します。

捺染した作品を確認している様子。着衣した時を想定し、生地を重ねた時の透け具合や、立体的にどのように見えるかも確認。

実際、ソリューションセンター富士見にお越しいただいた中里さんのアシスタントデザイナーさんは、仕上がりを確認しながらその場でデザインデータや、印捺条件を調整し、印捺し直すなど作品の完成度を高めていきました。そして中里さんがパリに飛び立つ直前。中里さんのインスピレーションが働き、シルクオーガンジーを用いた大ぶりドレスのアイディアへと発展。コレクションの最後を飾る作品となりました。

コレクションの最後を飾った作品。色鮮やかで高精細。ディテールを突き詰めて全体の美しさを構築する中里さんのフィロソフィーを感じさせます。

従来の大量生産・大量消費の時代から、消費者ニーズの多様化に対応する多品種少量生産の拡大が進んでいます。加えて、環境への配慮が強く求められています。

環境への負荷を軽減した生産工程と、作業負担の減少で、資源も、働きかたも、持続可能に。高品質で美しい印捺と短納期生産で、クリエーションの幅を広げていく。当社は捺染のデジタル化により、持続可能な社会に貢献していきます。

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記載の部署名・役職はインタビュー当時のものです。(取材:2022年12月)

以上