世界に正確な時を届けた
「私たち」。
1959年、ある最重要プロジェクトが始まった。
機械式時計以外の新たな時計開発のために発足された
「59Aプロジェクト」である。
次世代に向けて高精度な時計の創造を目的としたそれは、
後に開催される国際的スポーツ競技大会にも大きな影響を与え、
世界初となる「クオーツウォッチ」の誕生にもつながる。
そして同時に、
私たちは「省・小・精の技術」に取り組む精神性を授かった。
そんな私たちは、ある夢を抱いていた。
世界への挑戦だ。
時計の精度を競う最高峰の舞台
スイスで開催される天文台コンクールである。
初めて挑んだ機械式時計部門、
結果は惨敗だったが、高みを求めて開発を続けている私たちであれば、
もっと上にいける。そう思った。
その後、作り手のたゆまぬ努力によって、
より正確な時を手に入れた私たちは上位になることができた。
しかし、私たちが描きたい本当の世界は、順位ではない。
正確な時を世界中の人たちに届けたい。
その想いと願いを胸に、ある決断をする。
「省・小・精の技術」を結集させた「クオーツ」技術の公開だ。
私たちの技術は、特許権利化していたが、それを共有することによって、
世界はより正確な時を手に入れることになった。
利己主義ではなく、利他主義。
時は、誰のものでもなく、誰もが得る権利を持っている。
あれから長い年月が経ったが、「省・小・精の技術」は変わらない。
現在においても、「私たち」は誰かの腕で正確な時を刻んでいる。
1959年、ある最重要プロジェクトが始まった。
機械式時計以外の新たな時計開発のために発足された
「59Aプロジェクト」である。
次世代に向けて高精度な時計の創造を目的としたそれは、
後に開催される国際的スポーツ競技大会にも大きな影響を与え、
世界初となる「クオーツウォッチ」の誕生にもつながる。
そして同時に、
私たちは「省・小・精の技術」に取り組む精神性を授かった。
そんな私たちは、ある夢を抱いていた。
世界への挑戦だ。
時計の精度を競う最高峰の舞台
スイスで開催される天文台コンクールである。
初めて挑んだ機械式時計部門、
結果は惨敗だったが、高みを求めて開発を続けている私たちであれば、
もっと上にいける。そう思った。
その後、作り手のたゆまぬ努力によって、
より正確な時を手に入れた私たちは上位になることができた。
しかし、私たちが描きたい本当の世界は、順位ではない。
正確な時を世界中の人たちに届けたい。
その想いと願いを胸に、ある決断をする。
「省・小・精の技術」を結集させた「クオーツ」技術の公開だ。
私たちの技術は、特許権利化していたが、それを共有することによって、
世界はより正確な時を手に入れることになった。
利己主義ではなく、利他主義。
時は、誰のものでもなく、誰もが得る権利を持っている。
あれから長い年月が経ったが、「省・小・精の技術」は変わらない。
現在においても、「私たち」は誰かの腕で正確な時を刻んでいる。
Article
腕時計作りの本格化。精度No.1への挑戦。
私たちが出した答えは、
「省・小・精の技術」だった。
「省・小・精の技術」に
込められた想い。
創業から続くセイコーエプソン株式会社(以下エプソン)のモノづくりを一言で表すと「省エネルギー」「手間を省く」「小型」「精密」といった技術を意味する「省・小・精の技術」に集約されます。
20世紀半ば頃の腕時計は、現在に比べ駆動に大きな動力を要し、物理的にも大きく精度が安定しないモノが多かったのですが、私たちは利便性向上のためにより小さく、少ないエネルギーで精密にすることを目指しました。エプソンに携わる社員は、いかに「省・小・精の技術」を極められるかを日々考え形にし、世の中に届けてきたのです。
1945年以降、「大和工業」と「第二精工舎諏訪工場」(1959年諏訪精工舎に統合)は腕時計作りを本格的にスタートします。優秀な技術者が在籍し、1956年には日本初の独自設計腕時計「マーベル」を開発。「マーベル」は日本国内で精度・品質において「驚異の腕時計」と称され、当時の通商産業省主催による「国産時計品質比較審査」では1位から5位までを独占。1958年には、同審査で1位から9位までを独占するという快挙を成し遂げたのでした。その後も現状に満足することはなく、世界の頂点に立つという夢を抱き新たな挑戦が始まります。
「59Aプロジェクト」と
世界初のクオーツ式腕時計の誕生。
「省・小・精の技術」の始まりを象徴づけた出来事は、世界中の時計メーカーの間で競争が始まろうとしていた電子時計の開発、社内では「59Aプロジェクト」と呼ばれるものでした。
「59Aプロジェクト」とは、スタート年の19“59”年と最重要プロジェクトを示す“A”を合わせた名称。スタート当初は、すでに他社が先行していた電子音叉式、動力を電気にした電磁てんぷ式、そしてロッカーくらいの大きさであったクオーツ式の3案がありました。クオーツ式は新しい要素技術の中で最も難易度が高いと考えられていましたが、他の2案には決定的な弱点がありました。
そこで当社はまったく新しい世界を切り拓くために、クオーツ式に絞った開発を決断します。当社が開発するクオーツ式時計はまだ置時計サイズでしたが、1963年から精度における世界頂点の舞台であるスイスのヌーシャテル天文台クロノメーターコンクールへの参加を開始。省電力化・小型化・精度向上を繰り返しながら、コンクールで徐々に上位に入賞するようになり、水準の高さを世界へ示していくことになります。また天文台コンクールで技術を磨きつつ、南極観測隊や新幹線でのクオーツ時計の実用化により、さらなるクオーツ時計の小型・省電力化が加速していくことになります 。そして「59Aプロジェクト」のスタートから10年後の1969年に、世界初となるクオーツ式腕時計「セイコー クオーツアストロン35SQ」の開発に成功したのです。
製造の自動化と拡がり。
世界規模の生産量へ。
ここで少し製造に目を向けてみると、部品精度のバラつきを解消するために1960年代半ばから設計の合理化や組み立ての分業(ベルトライン)、自動組立化も進めていきます。現在におけるマニュファクチャリングソリューション、いわゆるロボット事業の原点は、この自動化技術と言って良いでしょう。当社のロボット事業はその後、1983年に当社FA(Factory Automation)機器外販の第1号となる水平多関節型精密組み立て用ロボット、そして2009年には小型部品の精密組み立てに最適な性能を追求した6軸(垂直多関節型)ロボットを発売するなど発展を続けていきます。
時計製造においても自動化の進化は続き、私たちは腕時計の生産量において世界規模へ成長していったのです。
一部の人ではなく、
世界中の人へ。
技術は人びとのためにある。
クオーツ時計の開発を進める一方、機械式時計の精度の追求も続けていきました。1964年に機械式腕時計部門でヌーシャテル天文台コンクールへ初めて挑戦するも、結果は144位と惨敗します。
しかし、その後も研鑽を重ね、1968 年に参加したジュネーブ天文台クロノメーターコンクールでは機械式腕時計部門の上位を独占。精密な技術力の高さを証明すると同時に、名実ともに世界の頂点を極めたのです。その中には、後に女性初の「現代の名工」にも選ばれる中山きよ子さんもコンクールへ女性として初めて挑戦し、調整者賞を受賞しています。
一方、こうした高精度を追求するコンクールは市販品とは一線を画すもの。私たちはより多くの人に良いものを手にしてもらうべく、コンクールで得た技術・技能を活かし、「グランドセイコー」などの機械式時計の開発に邁進していくことになります。
このように、機械式時計やクオーツ時計の省エネルギー化、小型化、精度向上の歩みを止めなかった背景には、正確な時計を世界中の多くの人々に届けたいという想いがあったのです。そこで私たちは特許権利化したクオーツ時計の技術を公開。この技術公開によりクオーツ式腕時計は劇的に普及し、世界中の人が正確な「時」を手にすることができたのです。
時が流れた現在においても、「省・小・精の技術」に込められた想いは今も変わらず時を刻んでいます。